オバマ大統領を広島に行かせたのは、任期最後になって実現にこぎつけたその主張、主義、希望、思いだったのだろうか。原爆投下を正当化させるアメリカ国民が多い中にあって、その障害があまり無くなった今の段階でしか成しえなかったと多くの報道が述べている。その動機がどんなものであれ、現職の大統領が広島に来て、例え謝罪がなくとも、その思いを述べることは非常に大きな歴史的事実であり、私たち日本人も心から評価するのにやぶさかでない。だれが書いたにせよ、広島で述べた格調高いスピーチの冒頭で、大統領は71年前、雲のない明るい朝と表現した。この年、私は0歳であった。どんなことが進行していたかは知る由もなかった。両親もあまりその事を言わなかった。ただ次期大統領を目指していたマッカーサーの事はよく話した。その71年間にアメリカ大統領は何人いたかを調べてみた。原爆投下を命令したトルーマン、ヨーロッパ戦線で活躍し、マッカーサー打ちのめしたアイゼンハワー、43歳で大統領になったケネディー、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)、オバマ。歴史の教科書で学んだトルーマン以外は新聞や、映画、テレビでその名前を聞いたり、顔を見たことがある。アメリカは演出が好きだといつも思う。アメリカに着いた時に見るアメリカ大統領の大きな肖像画、大統領の紋章、町へ入ると目につく星条旗のオンパレード、多民族、多人種を一つにする象徴だ。来年の受験生にとっては試験に出るかもしれないと思って英文と日本文を対訳で勉強することになるかもしれないが、アメリカ大統領のスピーチはなぜかくも格調高いものになるのだろうか。全世界の指導者、警察官を意識しているのか。大統領の就任スピーチにしろ、この文章にしろ、ゴーストライターがいるとはいえ、推敲に推敲を重ね、歴史に耐える文章になっていくのだろう。日本の政治家でこれほど厳かで品位あるスピーチにまだお目にかかれない。ひょっとしたら私の勉強不足かもしれないが。成る程謝罪的な文章はないし、反対に個人を許し、憎むべき対象を位置づけている。日本でよく言う、罪を憎んで人を憎まずの論理であろう。私がと言うより多くの人が共鳴したのは「すべての人の掛け替えのない価値、すべての命が貴重であるという主張、我々は人類と言う一つの家族の仲間であるという根源的で必要な考え」である。そして具体的な事例、今の幸せな家族の日々の生活が71年前に広島や長崎で存在し、それが一瞬のうちに消え去ったこと。歴史は繰り返すと言うが、大統領はこんな悲劇は二度と繰り返してはいけないと言いたかった。それにしても同じ日に終わったサミットはパリ郊外のランブイエ城での第1回以来今年で42回目、30歳以降であったせいか、よく覚えている。最初は今ほどテロやデモの脅威もなく、警備も比較的軽微であったがこんなに厳重に警備するようになったのは主に欧州メインの会議であるせいなのか。物見遊山的な会議で何を話し、何を決めることが出来るか、疑問を持つ人も多いが、高級官僚の果たしてきた役割は、表に決して出ないが、大きなものなのだろう。日本の良い面をちょっとでも理解し、持ち帰ってもらったらそれだけで成功かもしれない。裏方で活躍した警護から会議の立案した人まで私たちは純粋に感謝すべきと思う。
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